求道の旅人 聞中浄復 2

中浄復が大典顕常に師事したのは、宝暦八年(1758)二十歳の時でした。

その翌年、大典の第一詩集「昨非集」に跋文を書いています。

この詩集は大坂の木村兼葭堂が版行しました。大典は後年、聞中について次のように記しています。

「・・・余少きより唐詩の好あり、我と好を同ふして、能く之を得る者は其れ聞中か、聞中の詩に於ける、出すに唐を以てせざるなく、亦た唐たらざるを屑しとせず・・・」(『小雲雲稿』の十「題聞中詩稿後」)

煎茶道の祖 売茶翁高遊外 2

売茶翁の茶風
 
  世を処して世を知らず
  禅を学びて禅に会わず
  但し、将にひとたび茶茗を憺具せば
  到るところゆき到るところにて煎ず
  人の買(やとい)なくして空しく提藍を擁して渓辺に坐ず
  何れのものも好事は描出を謾(おろそか)にす
  一たび天下に任さば人粲然(さんぜん)とす      (大意)
 
                 廬仝正流兼達磨宗四十五傳
                         高遊外自題

 

売茶翁は「売茶翁偈語」の冒頭の詩の肩書として「廬仝正流兼達磨宗四十五傳」と記しています。これは売茶翁の処世観を表わしたものと思います。
廬仝の通仙の精神と、達磨の無功徳の教え(武帝との問答)と面壁九年の教え(無我無欲となって佛の道を悟ること)を受け継いでいることを言明しています。
つまり「茶」と「禅」を結びつけたことです。そして、売茶翁は「茶禅一味」を実践しました。喫茶することの精神性を説いたのは売茶翁が最初です。このことから「煎茶道の祖」と位置付けられます。
売茶翁は僧侶としての地位、名誉を捨てて茶を売ることで、晩年の半生を過ごしました。そして、現世利益、自我の世界の中で、喫茶することにより無我(欲を捨てる)の世界を悟ることを求めました。