三種亭其行

鶴翁は師事した聞中浄復禅師から「三種亭其行」を授かりました。文政七年(一八二四)三種亭其行の名前で「茶売り詞」を著わしました。

三種亭其行の名前の由来については詳らかではありませんが、聞中禅師は達磨大師の教え「三種安楽の法門」を鶴翁に伝えたと推測します。

その教えは『三つとは、「唯浄(ゆいじょう)」「唯善(ゆいぜん)」「徐緩(じょかん)」です。「唯浄」とは清浄心を自分の心にせよ。「唯善」は腹をたてない。「徐緩」はゆっくり落ちつくことです。この三つを心がけることで、安楽、しあわせになるという教えです』(「臨済・黄檗宗公式サイト」)

売茶翁は終焉にあたり「達磨宗第四十五傳」といっているように「達磨への回帰」を述べています。このように売茶翁を崇敬した聞中禅師は、鶴翁の雅号で達磨の教えを伝えたのだと思います。

 

 

毛孔と素徳(2)

鶴翁が平素、主に呼称していたのは「素徳」です。すでに文政五年(1822)、三宅成章は「茶旗の由来」の中で「田中君素徳に茶旗を贈る」と記述しています。

素徳とは「平素徳をつむ」、「清く正しい行いをする」という意味です。禅宗では「素徳清規」という成句があります。両者は同義語であるとのことです。清規とは禅宗の僧侶の生活規則で、臨済宗では「百丈清規」、黄檗宗では「黄檗清規」があります。

鶴翁が「素徳」を用いていた理由は、聞中浄復禅師の師匠である大典顕常禅師が著わした「茶経詳説」を学んだ結果と思われます。「茶経詳説」は陸羽の「茶経」の解説書です。陸羽は「茶経」の中で、「茶は行いにすぐれ倹徳のある人がのむのにもっともふさわしい」と記しています。鶴翁は「倹徳」となるために、まず「素徳」を用いたのではないかと思われます。

鶴翁は茶事では日頃の不平、不満を軽き汗とともに「毛孔」から発散させ、無我の世界に入ること。そして、日常生活では「素徳」、清く正しい行いを心がけていたのではないのでしょうか。

 

毛孔と素徳(1)

鶴翁は在世中、主として「毛孔」「素徳」を用いていました。

「毛孔」は中国唐代中期の詩人廬仝の「茶歌」から引用しています。

 

浪華郷友録(文政七年 一八二四)

『田中毛孔 名毛孔 字軽汗 号花月? 田中新右衛門』

 

廬仝「茶歌」(七椀詩)

<原文>

一椀喉吻潤    両椀破孤悶

三椀捜枯腸    唯有文字五千巻

四椀發軽汗    平生不平事尽向毛孔散

五椀肌骨清    六椀通仙霊

七椀喫不得也 唯覚両腋習習清風生

 

<訳文>

一椀目の茶で喉や唇の渇きが潤い、

二椀目で徒然の孤独の愁いが消え、

三椀目で茶は渇いた腸の中まで染み渡り、

    その腹中を見れば私が学んだ五千巻の知識があるのみです。

四椀目でさわやかな汗をかき、

    日頃体の奥に鬱積していた不平不満が

    一度に毛穴から発散していくような快さを覚え、

五椀目で皮膚から骨の髄まで洗われたように爽やかになり、

六椀目で俗界を離れ仙境に入り、仙人になったような気分です。

七椀目のお茶はもう飲む必要もないほど、

    既に左右の脇の下をそよそよと清らかな風が吹き抜けて、

    天にも昇る心地が致します。

             龍愁麗訳 勉誠出版「中国茶辞典」より