毛孔と素徳(2)

鶴翁が平素、主に呼称していたのは「素徳」です。すでに文政五年(1822)、三宅成章は「茶旗の由来」の中で「田中君素徳に茶旗を贈る」と記述しています。

素徳とは「平素徳をつむ」、「清く正しい行いをする」という意味です。禅宗では「素徳清規」という成句があります。両者は同義語であるとのことです。清規とは禅宗の僧侶の生活規則で、臨済宗では「百丈清規」、黄檗宗では「黄檗清規」があります。

鶴翁が「素徳」を用いていた理由は、聞中浄復禅師の師匠である大典顕常禅師が著わした「茶経詳説」を学んだ結果と思われます。「茶経詳説」は陸羽の「茶経」の解説書です。陸羽は「茶経」の中で、「茶は行いにすぐれ倹徳のある人がのむのにもっともふさわしい」と記しています。鶴翁は「倹徳」となるために、まず「素徳」を用いたのではないかと思われます。

鶴翁は茶事では日頃の不平、不満を軽き汗とともに「毛孔」から発散させ、無我の世界に入ること。そして、日常生活では「素徳」、清く正しい行いを心がけていたのではないのでしょうか。