酒造業田中屋

 

1.所在地
田中屋は東横堀川の川沿いにあり、物資の搬出入に便利な場所でした。秋里離島「築山庭造傳」(文政十一年 1828)には「花月菴は横堀の西岸の高楼成。淀川の支流はいながら結ぶ眺望の所は高津の台なり。生玉の森林に浮かび、南に瓦屋橋を帯びる」と記載されています。この地は通称清水町といわれていたように、良質な水が湧いていました。
 
2.酒造株
幕府から認可された田中屋の酒造株は、鶴翁が世襲した当時は1,250石高でしたが、文政九年では3,000石高に増株になっています(「酒造株帳寫」西宮、四之井家文書)
 
3.銘   柄
「浪華清水」 「菊之清水」 「鶴」 など。
毛必華編「続浪華郷友録」文政六年(1823)に「花月菴、号菊井館、姓田中、住清水町、宅中に井戸あり、(銘酒)旧名を浪華清水といい、事後菊之清水と呼ぶ、この水は清冽にして煮茶にして用いる」と記されています。
また、「頼山陽全傳」によれば、文政七年六月二十四日に頼山陽が花月菴を訪問したことが記されていて、「余が酒戸(量)の進むこと、此の酒(鶴)より始まる」とあります。
 
4.販売先
地売りと江戸向け販売をおこなっていました。「帆待積申合覚」(西宮、四之井家文書)、文化五年(1808)六月に大坂三郷酒造家仲間の総会において、江戸向け船積の自主規制を決議し、田中新右衛門をふくむ三十四名が署名捺印したことが記されています。
 
5.酒造組合
大坂三郷南組