煎茶道の祖 売茶翁高遊外 2

売茶翁の茶風
 
  世を処して世を知らず
  禅を学びて禅に会わず
  但し、将にひとたび茶茗を憺具せば
  到るところゆき到るところにて煎ず
  人の買(やとい)なくして空しく提藍を擁して渓辺に坐ず
  何れのものも好事は描出を謾(おろそか)にす
  一たび天下に任さば人粲然(さんぜん)とす      (大意)
 
                 廬仝正流兼達磨宗四十五傳
                         高遊外自題

 

売茶翁は「売茶翁偈語」の冒頭の詩の肩書として「廬仝正流兼達磨宗四十五傳」と記しています。これは売茶翁の処世観を表わしたものと思います。
廬仝の通仙の精神と、達磨の無功徳の教え(武帝との問答)と面壁九年の教え(無我無欲となって佛の道を悟ること)を受け継いでいることを言明しています。
つまり「茶」と「禅」を結びつけたことです。そして、売茶翁は「茶禅一味」を実践しました。喫茶することの精神性を説いたのは売茶翁が最初です。このことから「煎茶道の祖」と位置付けられます。
売茶翁は僧侶としての地位、名誉を捨てて茶を売ることで、晩年の半生を過ごしました。そして、現世利益、自我の世界の中で、喫茶することにより無我(欲を捨てる)の世界を悟ることを求めました。

煎茶道の祖 売茶翁高遊外 1

売茶翁の略歴

売茶翁高遊外  延宝3年(1675) – 宝暦13年(1763)

売茶翁は、肥前蓮池(佐賀県)に生まれました。蓮池の領主・鍋島家に仕える御殿医であった父、柴山杢之進と、母、みやの三男として生まれました。本名は柴山元昭、幼名は菊泉。法名は月海で、還俗後は高遊外と自称しました。

 
1685年 11歳 肥前、龍津寺の化霖道竜に師事し出家
1687年 13歳 化霖と共に黄檗山萬福寺を訪れ、化霖の師である独湛性瑩より
        偈を賜わった
1696年 22歳 痢病を患ったことで、己の未熟さを恥じ、修行の行脚に出る
        陸奥仙台の万寿寺で月耕道稔に学んだのをはじめ広く臨済、
        曹洞の禅僧に参禅し、のち龍津寺の化霖のもとに帰り、化霖が
        亡くなるまで仕えた。
1724年 50歳 龍津寺を去る
1735年 61歳 東山に通仙亭を開き売茶生活を始める
1742年 68歳 高遊外を名のり湯屋谷に永谷宗園を訪問
1748年 73歳 「梅山種茶譜略」を著す
1755年 81歳 僊?を焼く
1763年 89歳 7月16日没 同月に「売茶翁偈語」が友人によって出版され
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