鶴翁は天保九年(一八三八)四月、一条忠香公のお召に応じ茶を献じました。
頭に芙蓉巾(心越禅師所用)をかぶり、鶴?衣(売茶翁所用)を着て茶具を荷い、庭で伶人奏楽のなか忠香公を始め諸公に茶を献じました。
鶴翁が茶具を荷い、庭を逍遥するさまは「鶴が舞うが如し」とのお言葉を忠香公から賜り、「鶴舞千年樹」の染筆を下賜されました。また次の一首と「鶴翁」の名を賜りました。
千世萬はなと月とに汲そへよ
つるの翁のかめをあつめて
同年九月、忠香公より再度のお召に応じて茶を献じました。
この時「紫の巻」と題する染筆を賜りました。
煎茶といへるはいにしへよりもてはやせり
今難波の花月菴はむかし遊外翁の伝へを得て
茶どうの式をうかつ清雅にして艶なり
天下の妙といふべしちゃを好めるもの
この規短によるへし殊勝のあまり
鶴翁へ
茗にしなふ難波の人の汲茶には
よしとて花も月籠りて
鶴翁の生前には、自ら「鶴翁」の号を用いた文献を確認することができませんでした。