花月菴鶴翁年表

年 号
西暦
花 月 菴 鶴 翁 関 係
天明 2年
1782
1
田中亀之助(花月菴鶴翁)大坂島之内
小西町に生まれる
父 新右衛門、酒造業 屋号:田中屋
田中屋  酒造株:1250石
         銘 柄:浪華清水 鶴
         販売先:地売り 江戸売り 
         酒造組合:大坂三郷南組    
天明 3年
1783
2
 
天明 4年
1784
3
摂泉十二郷酒造仲間の成立
 
4月 聞中が木村蒹葭堂を訪ねる
 
4月 高芙蓉歿 享年63
天明 5年
1785
4
宝暦4年(1754)の勝手造り令によっ
て灘酒造業が発展したため、大坂三郷
酒造家はかつて700軒あったが、
本年396軒となる
 
7月 悟心元明歿 享年73
天明 6年
1786
5
5月 幕府は半石造りの減造令発布
 
6月 聞中が蒹葭堂を訪ねる
天明 7年
1787
6
6月 幕府は三分の一造りの減造令発布
天明 8年
1788
7
7月 幕府は半石造りの減造令発布
寛政元年
1789
8
8月 幕府は天明6年以前の請け高株の
   三分の一減造令発布
 
11月 酒造業坪井屋吉右衛門(木村蒹
   葭堂)酒造石高改めにより過醸
   を訴えられ、町預けとなる 
 
聞中が市谷七宝山薬王寺の住持となる
寛政 2年
1790 9
1/18 同心が坪井屋酒造蔵を調査
 
3月 奉行所坪井屋に廃業命令
    坪井屋支配人宮崎屋次右衛門が三
   郷所払い、醸造権、酒造具召上げ、
   当主(蒹葭堂)も町内年寄役も召
   上げられる家屋敷はお構いなし
 
11月 蒹葭堂 伊勢長島領川尻村に転居
 
聞中が川尻村に蒹葭堂を訪ねる
寛政 3年
1791
10
浦賀番所に「下り酒荷改方」を設置
 
9月 幕府は酒造三分の一減造冷を吟味
 
12/13 聞中が蒹葭堂宅(川尻村)来泊
寛政 4年 1792 11
1月  幕府は酒造三分の一減造冷を吟味
 
2月 幕府は「一紙送り状」(または「総
   高送り状」)の制を採用
 
10月 幕府は「下り酒十一ヶ国制」を実施
   十一ヵ国:山城 河内 和泉 摂泉
        伊勢 尾張 三河 美濃
        紀伊 播磨 丹波
寛政 5年 1793 12
9/3 蒹葭堂は日記に「黄檗聞中和尚、
        二十年間大典に随侍し高遊外
      (売茶翁)や高芙蓉に学び高二世と称
       された」と記す
寛政 6年 1794 13
9月 幕府は天明6年以前の酒造高の三分の
   一減造令を発布
 
寛政6~8年にかけて初代清水六兵衛が蒹葭
堂を訪問
寛政 7年 1795 14
10月 幕府は酒造制限を解除令を発布
    天明6年以前の酒造高に復帰
 
木村石居は神沢杜口『翁草』の「睡余寄観」
に序文を書く
寛政 8年 1796 15
7月 幕府は酒造株改め(実醸造高と株高と
        の差を是正)
 
7月 聞中は慈仙如忍和尚を伴い蒹葭堂宅を
   訪問
   蒹葭堂は売茶翁三十三回忌にあたり
   清水六兵衛に磁碗を制作させる
寛政 9年 1797 16 亀之助(鶴翁)田中屋継承し新右衛門を襲名
寛政10年
1798
17
秋 蒹葭堂、楽水居沢田実成「煎茶略説」
を刊行
寛政11年
1799
18
4/25 蒹葭堂は邦福寺で普茶会を催す
 
初代清水六兵衛歿 享年61
寛政12年
1800
19
12/3 蒹葭堂は茶会を二日間催す
 
9/11 伊藤若冲歿 享年85
享和元年
1801
20
3/22 大典顕常歿 享年83
享和 2年
1802
21
幕府は二分の一減造令を発布(一年のみ)
十分の一の冥加金上納
御分量目高を三分の二に制限
 
1/25 木村吉右衛門(蒹葭堂)歿 享年85
 
4月 甥の吉兵衛が木村吉右衛門の養子
   となる(孔陽 世輝 石居)
 
青木夙夜歿
(池大雅の弟子、売茶翁茶器図模写)
文化元年 1804 23
新右衛門(鶴翁)、真宣屋喜平次(西宮)
の1750石株を取得し田中屋3000石株と
なる
取得銘柄:戎鯛
文化 2年 1805 24
西田源治郎(花月菴得翁 二代目)生
文化 3年 1806 25
9月 幕府は酒造家に勝手造り令を発布
休株、新規営業の者にも酒造業を営むこ
とを認めたため、酒造業者間の競争が激
化し、灘目三郷は飛躍的に発展した
過剰生産により酒価が下落した
文化 4年 1807 26  
文化 5年 1808 27
6月 新右衛門(鶴翁)大坂三郷酒造家
   34名とともに申し合わせ「帆待積
   合覚」江戸向け積荷調整)に捺印          
文化 6年
1809
28
江戸酒問屋、金千五百両の冥加金上納の
代償に、問屋株を幕府が承認
それを背景にして江戸問屋の荷主(酒造
家)支配が始まる
 
6/27 上田秋成歿 享年76
文化 7年
1810
29
 
文化 8年
1811
30
聞中は洛中清和院御門広小路上ルの日光
宮御里坊河原御殿門前長屋に寓居
文化 9年
1812
31
3/29以降 聞中は京都に定住
文化10年
1813
32
9/25 木村石居は蒹葭堂十三回忌を大坂
          の大応寺で営む
         この頃から蒹葭堂月例二十五日茶会
         が始める
 
12月 幕府は酒造勝手造り令を解除
 
聞中 文化十年版「平安人物誌」の「緇流」
にその名が見える
 
篠崎三島(小竹の養父)歿 享年77
文化11年
1814
33
 
文化12年
1815
34
 
文化13年 1816 35  
文化14年
1817
36
 
文政元年
1818
37
篠崎小竹 子息と花月菴訪問
この頃から花月菴月例十六日茶会始める 
文政 2年
1819
38
 
文政 3年
1820
39
8/9 岡田米山人(半江父)歿 享年75
文政 4年
1821
40
 
文政 5年
1822
41
7月 三宅成章は売茶翁所用「茶旗」を
       素徳(鶴翁)に贈る
文政 6年
1823
42
春 「続浪華郷友録」で花月菴を記載
 
3/27 田能村竹田が河合同斎と花月菴
         を訪問
   三宅文昌が同席
 
4/16 竹田が花月菴を再訪
 
4/18 竹田が花月菴を再訪
 
10月 木村孔陽(石居)「売茶翁茶器図」
   刊行
 
12月「浪華金襴集」で花月菴を記載
文政 7年
1824
43
晩春 三種亭其行(鶴翁)「茶売り詞」を
         著わす
 
4/4 頼山陽が篠崎小竹と花月菴訪問
   (6/24説あり)
 
4/21 山陽が鶴斎(鶴翁)に「竹枝」を贈る
 
4/23 鶴翁は青木木米に涼炉の制作を依頼
 
6月  「新刻浪華人物誌」花月菴毛孔、
         軽汗を記載
 
7月  摂泉十二郷酒造仲間、減造、積荷の
         自主規制を申し合わせる
 
9月  頼山陽、後藤松陰と花月菴を再訪
 
阿部鎌州「良山堂茶話」初編に花月菴所蔵
「売茶翁画像」(伊藤若冲画大典禅師画賛)
を記述
文政8年
1825
44
2月 木米が鶴翁に「嵐山行楽図」を贈る
 
4月 木村石居 蒹葭堂二十五回忌を大応寺
       で営む
    森川竹窓、八木巽處など十名
 
木米は鶴翁に「嵐山行楽図」の絵を贈る
文政9年
1826
45
春 聞中は鶴翁に「新茶の詩」を贈り、
      江戸に赴く
 
7月 幕府は文政七年の摂泉十二郷酒造仲間
       の自主規制を勝手造り令違反として、
       大坂酒造大行司 吹田屋与三兵衛、西宮、
        兵庫、下灘、上灘、今津、池田、伊丹
        の七郷酒造行司を逮捕
    筆頭の吹田屋与三兵衛に死罪、七郷酒造
        行司に過料十貫文を申し付ける
 
9月 吹田屋与三兵衛が獄死しこの一件は落着
 
この事件をきっかけに江戸酒問屋の酒造仲間
への支配、系列化がはじまる
文政10年
1827
46
8月 篠崎小竹、大窪詩佛が花月菴を訪問
    詩佛「花月菴玉川庭之図」に一詩を
       添える
 
八木巽處は花月菴を訪問し、売茶翁所用
茶心壷の内箱に箱書をする
 
鶴翁は青木木米に赤絵茶碗の制作を依頼
文政11年
1828
47
秋里離島 「築山庭造傳」に花月菴について
記述
文政12年
1829
48
6/5 田能村竹田が花月菴を訪問
    売茶翁像を写生し「高遊外像」を記述
 
田能村竹田「屠赤瑣瑣録」に花月菴主人の
伝聞として「聞中和尚」「真山六兵衛」に
ついて記述
 
9/16 聞中条幅歿 享年91 
          墓地 京都圓光寺
 
11月 新右衛門(鶴翁)は聞中の墓碑建立に
          立会い、形見分けに水鉢をもらう
文政13年
 
 
天保元年
1830
49
11/2 森川竹窓歿 享年68
 
11月 幕府は酒造家に三分の二減造令を発布
 
お蔭参り発生
 
江戸酒問屋に対する売掛金が増大
天保2年
1831
50
4月 鶴翁は木米に風炉の制作を依頼
天保 3年
1832
51
株改め、新規株を交付、莫大な冥加銀を
賦課(株高と実醸高との間で株高が超過
した分に新規株の交付新旧株仲間の対立、
灘五郷と他の九郷との利害の激突、
荷主=酒造仲間と江戸酒問屋との抗争) 
 
5月 鶴翁は江戸に下り大窪詩佛宅訪問
       畑銀鶏同席
 
5/29 江戸郊外、綾瀬川で茶会。
   大窪詩佛、平田篤胤、谷文晁らを
   招く
 
徳川将軍家に献茶し、茶具一揃え、清玩
規を献上(天保9年10月 千種有功を通じ
て将軍家から蒔絵硯箱を下賜される)
 
9/23 頼山陽歿 享年53
 
10/23 木米は花月菴の「白泥涼炉」制作
    鶴翁は木米に香合の「ふた」を
    依頼
天保 4年
1833
52
1/23 鶴翁は木米に南蛮製急須の「ふた」、
    長良川茶会の大壺を依頼
 
5/15 青木木米歿 享年66
 
8/15 長良川茶会
 
田能村竹田 鶴翁に「雨晴嫩緑満庭時」の
詩を贈る
 
9/19 幕府は酒造高の三分の一減造令発布
 
11月 四分の一乃至全禁
天保 5年
1834
53
6月 幕府は前年までの酒造高の三分の一減
    造令発布
 
11月 幕府は前年までの酒造高の三分の二減
          造令に変更
 
畑銀鶏「浪華雑記」に蒹葭堂 月例二十五日
茶会と鶴翁について記述
 
鶴翁、木村石居、八木巽處が銀鶏の宿屋 
松廼屋を訪ねる
天保 6年
1835
54
7月 大里有年は「浪華煎茶大人集」で売茶翁
   の流れをくむ22名を記述
 
8/29 田能村竹田歿 享年59
 
鶴翁 大坂 邦福寺に急須塚を建立
 
9月 鶴翁は聞中禅師七回忌茶会を大坂 
        邦福寺で営む
        浩菴隠士豊編 聞中禅師七回忌茶会
      「花月菴茶器録」「煎茶人略伝」
 
畑銀鶏は「街能噂」に鶴翁の十六日茶会と
蒹葭堂二十五日茶会を記述
口絵、歌川貞広「毛孔、石居、巽處の交友図」
天保 7年
1836
55
7/8 八木巽處歿 享年66

7月 幕府は天保四年以前の酒造高の三分
        の一造り令発布

11月 幕府は三分の一造り乃至全休令発布
天保 8年
1837
56
2/11 大窪詩佛歿 享年70
 
春 「続浪華郷友録」
      煎茶の部に花月菴鶴翁と門弟4名を記述
     (生白庵、北園斎、売中、花月菴室)
   
9月 幕府は前年通り三分の一造り吟味乃
        至全休令発布
天保 9年
1838
57
4月 鶴翁は一条忠香公に献茶
     「鶴舞千年樹」の染筆を下賜され、
      鶴翁の名前を賜る
 
6/22 木村石居歿 享年63
 
9月 鶴翁は一条忠香公に献茶
      「紫の巻」を下賜される
 
9月 鶴翁は紀州公、尾張公に献茶
    紀州公より、紋服、一位羽織を
        拝領する
 
9月 鶴翁は千種有功公に献茶
 
9月 幕府は前年通り三分の一造り令
        発布
 
10月 鶴翁は千種有功公を通して、先年
         将軍家への献茶の嘉賞として蒔絵
         硯箱を下賜される
天保10年
1839
58
4月 鶴翁は華園殿(浄土真宗興正派本山
        興正寺門主)に召され献茶
 
幕府は前年通り三分の一造り令発布
天保11年
1840
59
仲秋 鶴翁は法隆寺太子殿寶前に献茶
 
11月 鶴翁は光格上皇に仙洞御所で献茶
 
11月 幕府は天保4年以前の酒造高の
         二分の一造り令発布
 
12/4 谷文晁歿 享年78
天保12年
1841
60
この頃、檜垣真種「浪華風流繁昌記」で、
長良川茶会の図に賀寿(鶴翁)の一首と
略歴を記述
 
9月 幕府は天保4年以前の酒造高三分の
        二造り令発布
天保13年
1842
61
12月 幕府は酒造株を酒造稼とし、
         鑑札制度を設定
         酒造仲間廃止
 
鑑札高の三分の二造り令発布
天保14年
1843
62
3/27 香川景樹歿 享年75
 
9/11 平田篤胤歿 享年67
弘化元年
1844
63
 
弘化2年
1845
64
1月 「新撰浪華名流記」の茶人部に
       毛孔、田中賀壽、字倹徳 
       号花月菴と記述
 
2/9 花月菴一窓(三代目)生まれる 
弘化3年
1846
65
2/8 岡田半江歿 享年65
弘化4年
1847
66
 
嘉永元年
1848
67
8月 「浪花当時人名録」に花月菴を
        煎茶の中祖と記述
 
8/22 花月菴鶴翁歿 享年67
    大谷祖廟に納骨
    墓碑を大坂 邦福寺に建立