売茶翁の茶売り生活の中で、七十代の約十年間は相国寺林光院に寓居していました。
(ただし、その間、洛西双葉丘に移り住んでいた時期もありました。)
また、鶴翁の師匠である聞中禅師は、相国寺の大典顕常(第百十三世住持)に師事しました。
大典禅師は売茶翁の有力な後援者でした。
また、聞中禅師の絵の師匠であった伊藤若冲も大典禅師の支援を受けました。
そして「動植綵絵」を相国寺に寄進しました。
なお、若冲の墓石は足利義政、藤原定家と並んでいます。
相国寺 京都府京都市上京区今出川通烏丸東入相国寺門前町701
開山は夢窓疎石。
十四世紀末、室町幕府三代将軍足利義満により創建されました。
創建当時は約百四十四万坪の敷地に、約五十もの山内塔頭寺院があったそうです。
鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、真如寺は相国寺の山外塔頭寺院です。
「相国」は「しょうこく」と読み、国を治めるという意味があるそうです。
伊藤若冲の墓石
庫 裏
承天閣美術館
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