四頭茶会2

四頭茶会は「方丈斎」という儀式の一部で食事作法に引き続いておこなわれるもので、禅院茶礼の伝統を示すものとされています。

四頭とは主位、賓位、首対位、賓対位のことです。この四人の正客に準じて八人の相伴客がお茶をいただく、禅院の広間の作法(着席法)です。

四頭茶会は特別にお招きをするお客様のためのお茶で「特為茶」といわれています。このように一般大衆のためのお茶「普茶」とは趣が違っています。

お点前は天目台と天目茶碗が使われる貴人扱いとなっています。お点前とお菓子を運ぶのは、四人の供給と呼ばれる寺僧が行います。供給の僧は縁高に入ったお菓子と、抹茶が入った天目茶碗を運びます。そして浄瓶を下げて正客より茶碗に湯を注ぎ、茶を点てる方法がとられています。この時、正客の前では胡跪(こき:左たて膝)の姿勢で点前をおこない、相伴客の前では立ったままでおこないます。

この作法は、禅宗寺院内の修道行事、法式、作法等を規定した清規に従うものです。

禅門で初めて清規が制定したのは、8~9世紀、唐の時代です。それは百丈懷海(ひゃくじょうえかい 749‐814)の定めた「百丈清規」です。しかし「百丈清規」は早くに散逸して伝わってはいませんが、その原型を知る資料が残されているとのことです。

その「百丈清規」の面影を一番伝えているのが、宋代の長廬宗賾(生没年不詳)によって編集された「禅苑清規」です。この中に収録されている「百丈規縄頌」などから「百丈清規」の一端を垣間見ることができるといわれています。茶礼については「堂頭某人の為に特為煎點すべし」とあります。

また、今日、茶には菓子が添えられますが、茶湯の儀式に「茶薬」が用いられていたことが記載されています。「茶薬」は茶礼の時に出される点心(餅などの菓子)のことです。このように当時から、茶を飲むときにはお菓子が出されていたことを知ることができます。

また、元代、順帝の命により、百丈山智寿聖禅寺の東洋徳輝らが編んだ「勅修百丈清規」(1335)があります。これは古来の清規の中では最もよく整備されたものといわれています。茶礼については「方丈で四節における特為首座大衆への茶」が記載されています。このように宋、元代(979~1352)に茶礼が確立されたことがわかります。

日本では「禅苑清規」が南北朝(1336~1392)の時代に、「勅修百丈清規」が延文元年(1356)に五山版が刊行されています。そして、貴人をもてなすための四頭茶会は室町、桃山時代に盛んにおこなわれました。

禅院の茶礼として伝わった四頭茶会が、いつ頃から現在の作法となったかはさだかではありません。そして、このような禅院の茶礼に、花月菴、表千家、裏千家が副席をつとめ、一般大衆が参加できるようになったのは、第二次世界大戦後になってからのことのようです。

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