煎茶の普及1

 

徳川幕府の成立後は商品貨幣経済が急速に進展するようになりました。
米をはじめ諸国の産品が大坂に集められて換金され、その商品は江戸や各地に売りさばかれていきました。
天下の台所といわれる大坂には早くから葉茶を扱う煎茶問屋が成立していました。すでに延宝七年(1679)には諸国別の煎茶問屋が十五軒ありました。伊賀が二軒、丹波二軒、宇治田原二軒、下市四軒、日向四軒、肥後一軒です。このことは茶が寺院生産から農村生産に移り、農民は租税として物納し、藩が商品として市場にだしたことを意味します。
特に注目すべきことは九州の日向茶や肥後茶の青柳式の釜炒り茶が大坂に移入され、商品として出されていたことです。