綾瀬川の茶会 1

天保三年(1832)五月二十九日、鶴翁は江戸郊外の綾瀬川で二、三の舟を浮かべ数十名の茶会を開きました。国学者の平田篤胤、画家の谷文晁、漢詩人の大窪詩佛を招いています。

鶴翁はなぜ江戸郊外の川で舟を浮かべて茶会を行ったのでしょうか。

それは、この年の三月から江戸市中では米価の高騰で、不穏な状況が続いていて、先手組(※)が厳重な警戒にあたっていたためです(「江戸年表」)。

※先手組は江戸の治安維持の役割を担っていました。先手組の頭は火付盗賊改方の長官を兼務していました。