綾瀬川の茶会 2

鶴翁は先手組が厳重警備にあったていたにもかかわらず、なぜ江戸で茶会を開いたのでしょうか。

茶会の主催者は摂泉十二郷酒造仲間(連合)の代表団であり、鶴翁が主導的な役割をはたしたと思われます。この時期、江戸酒問屋と諸国の酒造仲間との存亡をかけた対立が生じていました。それは江戸酒問屋が諸国の酒造業を直接支配し、系列化しようとする動きです。しかも数年来、江戸酒問屋の未払い問題が続いていました。(「近世都市酒造業の動態」)。地方の酒造家と江戸酒問屋との厳しい利害対立の中で、鶴翁は摂泉十二郷酒造仲間(連合)の元老(※)として、茶会で両者の利害調整、和解を計ろうとしたと思います。

※摂泉十二郷酒造仲間の申し合わせで、江戸向け販売をおこなっている酒造家は大坂大行事にはなれませんでした。その理由は、江戸向け船積みをする場合に大坂大行事の承認が必要で、灘と大坂の公平を保つためです。このため田中屋は3000石で大坂では大規模な経営でしたが大行事にはなれませんでした。