二つの月例茶会とは鶴翁が催した月例十六日茶会と、木村石居が催した月例二十五日茶会のことです。
鶴翁は二十五日茶会で売茶翁の茶風を習得し、十六日茶会で自らの茶風、茶法を確立しました。
鶴翁の十六日茶会は高遊外売茶翁の月命日にあたり、また木村石居の月例二十五日茶会は石居の養父蒹葭堂巽齋の月命日にあたります。
鶴翁は師の聞中淨復禅師から授かった三種亭其行の名で、文政七年(一八二四)晩春に「茶売り詞」を著わし、月例茶会について次のように述べています。
鶴翁は師の聞中淨復禅師から授かった三種亭其行の名で、文政七年(一八二四)晩春に「茶売り詞」を著わし、月例茶会について次のように述べています。
「翁の道徳を尊み、故ありてかたはかりの茅宇を結ひて花月菴と號け、
翁の真像を安置し、月毎の十六日は翁の為に茶を煎し人々に喫せしむる事
年久し」
畑銀鶏は天保五年の「銀鶏雑記」に田中新右衛門について次のように記述しています。
「島ノ内東堀清水町 酒造
毎月十六日會日 花月菴素徳
此ノ仁より決まり候て、兼葭堂へ参りべき旨、毎月廿五日會日」
蒹葭堂の二十五日茶会は鶴翁の発案と思われます。