十六日茶会

「月毎の十六日は翁の為に茶を煎し人々に喫せしむる事年久し」と文政七年(1824)に鶴翁が著わした「茶売り詞」に記載がありますが、いつ頃からこの茶会がはじまったのでしょうか。

文政元年(1818)に篠崎小竹が子息を伴って花月菴を訪問した記載が「頼山陽全伝」にあります。また、小竹夫人の佐智子は「煎茶大人集」にも記載されています。
これらのことから、文政元年頃から十六日茶会がはじまったと推測されます。
そして、この十六日茶会が文政七年の松風清社の設立につながっていきます。
ちなみに、鶴翁は後世に高弟の生白庵(杉村又吉)が独立するにあたり、「松風起社」を授けています。
 

この十六日茶会では、握飯に煮しめを添えて出し、煎茶を出す折には菓子をぜんに乗せて出していたことが、畑銀鶏の「銀鶏雑記」に記載されています。