毛孔と素徳(1)

鶴翁は在世中、主として「毛孔」「素徳」を用いていました。

「毛孔」は中国唐代中期の詩人廬仝の「茶歌」から引用しています。

 

浪華郷友録(文政七年 一八二四)

『田中毛孔 名毛孔 字軽汗 号花月? 田中新右衛門』

 

廬仝「茶歌」(七椀詩)

<原文>

一椀喉吻潤    両椀破孤悶

三椀捜枯腸    唯有文字五千巻

四椀發軽汗    平生不平事尽向毛孔散

五椀肌骨清    六椀通仙霊

七椀喫不得也 唯覚両腋習習清風生

 

<訳文>

一椀目の茶で喉や唇の渇きが潤い、

二椀目で徒然の孤独の愁いが消え、

三椀目で茶は渇いた腸の中まで染み渡り、

    その腹中を見れば私が学んだ五千巻の知識があるのみです。

四椀目でさわやかな汗をかき、

    日頃体の奥に鬱積していた不平不満が

    一度に毛穴から発散していくような快さを覚え、

五椀目で皮膚から骨の髄まで洗われたように爽やかになり、

六椀目で俗界を離れ仙境に入り、仙人になったような気分です。

七椀目のお茶はもう飲む必要もないほど、

    既に左右の脇の下をそよそよと清らかな風が吹き抜けて、

    天にも昇る心地が致します。

             龍愁麗訳 勉誠出版「中国茶辞典」より