求道の旅人 聞中浄復禅師 1

聞中浄復 元文四年(1739)~文政十二年(1829)

聞中浄復は十才で、伊勢の法泉寺の雷巌広音により出家しました。十九才で法泉寺六代住持の悟心元明によって嗣法(僧侶になる)しました。宝暦八年二月、二十才の時、悟心元明に伴われて黄檗山萬福寺にのぼり、第十九代住持の大鵬の行者になりました。同じ年の秋、万浪照達と共に相国寺の学僧大典顕常につきました(「黄檗文化人名辞典」)。

また聞中浄復の売茶翁との出会いは悟心元明の引き合わせによるものです。ちなみに「元明は三十三才の時、七十才の売茶翁に詩について問答をかわしている」。それ以来親交していました(「黄檗文化人名辞典」)。

売茶翁、大典顕常と親交していた蒹葭堂は寛政五年(1793)九月三日の日記に聞中浄復について記述しています。「二十年間、大典に従侍して、高遊外(売茶翁)や高芙蓉に学び、高氏二世と称された」(「木村蒹葭堂資料集」)。

また田能村竹田の「屠赤鎖々録」には次のような記述があります。「花月菴主人云ふ、当時高遊外翁に随侍せし人の世に生残りたるは聞中和尚壱人なり、和尚京北一乗寺村の桂林庵に住す、今ここ巳丑(文政十二年)に九十一歳と」

聞中浄復500               「肖像集」国立国会図書館蔵

 

文政六年、木村石居編「売茶翁茶器図」の刊行にあたり、聞中浄復は売茶翁所持茶器の確認をしています。また売茶翁没後、売茶翁所用の「倚案」(肘掛け)を遺品として譲り受けています。これらのことは聞中浄復と売茶翁が日常的な接触があったことを裏付けています。

 

 

三種亭其行

鶴翁は師事した聞中浄復禅師から「三種亭其行」を授かりました。文政七年(一八二四)三種亭其行の名前で「茶売り詞」を著わしました。

三種亭其行の名前の由来については詳らかではありませんが、聞中禅師は達磨大師の教え「三種安楽の法門」を鶴翁に伝えたと推測します。

その教えは『三つとは、「唯浄(ゆいじょう)」「唯善(ゆいぜん)」「徐緩(じょかん)」です。「唯浄」とは清浄心を自分の心にせよ。「唯善」は腹をたてない。「徐緩」はゆっくり落ちつくことです。この三つを心がけることで、安楽、しあわせになるという教えです』(「臨済・黄檗宗公式サイト」)

売茶翁は終焉にあたり「達磨宗第四十五傳」といっているように「達磨への回帰」を述べています。このように売茶翁を崇敬した聞中禅師は、鶴翁の雅号で達磨の教えを伝えたのだと思います。