賀壽

天保年間に刊行された「浪華風流繁昌記」(檜垣真種著)に、雅人の号と居所を記した「通名録」が収録されています。その中に「賀壽田中氏」として鶴翁師の略歴を記述しています。
鶴翁は和歌を香川景樹に学び、「賀壽」という歌号を授かりました。
香川景樹は、天保七年霜月、上田秋成著の「茶の詞章」(花月菴蔵)の由来を記すとともに和歌一首を添えています。
 
   うら処女君か
      はしめて諷ふなる茶の声
            いかに聞や聞すや
                        景樹記す

売茶翁の仏法

心に欲心なければ、身は酒屋、魚屋はたまた遊郭、芝居にあろうが、そこがその人の寺院である。自分はそのように寺院というものを大きく考えている。「対客言志」より

煎茶道の祖 売茶翁高遊外 2

売茶翁の茶風
 
  世を処して世を知らず
  禅を学びて禅に会わず
  但し、将にひとたび茶茗を憺具せば
  到るところゆき到るところにて煎ず
  人の買(やとい)なくして空しく提藍を擁して渓辺に坐ず
  何れのものも好事は描出を謾(おろそか)にす
  一たび天下に任さば人粲然(さんぜん)とす      (大意)
 
                 廬仝正流兼達磨宗四十五傳
                         高遊外自題

 

売茶翁は「売茶翁偈語」の冒頭の詩の肩書として「廬仝正流兼達磨宗四十五傳」と記しています。これは売茶翁の処世観を表わしたものと思います。
廬仝の通仙の精神と、達磨の無功徳の教え(武帝との問答)と面壁九年の教え(無我無欲となって佛の道を悟ること)を受け継いでいることを言明しています。
つまり「茶」と「禅」を結びつけたことです。そして、売茶翁は「茶禅一味」を実践しました。喫茶することの精神性を説いたのは売茶翁が最初です。このことから「煎茶道の祖」と位置付けられます。
売茶翁は僧侶としての地位、名誉を捨てて茶を売ることで、晩年の半生を過ごしました。そして、現世利益、自我の世界の中で、喫茶することにより無我(欲を捨てる)の世界を悟ることを求めました。